以前にこのコラムで紹介したが、その際にはまだ未知だった情報なども多い。今回は新たに得られた情報を改めて写真と共に紹介したい。
まずは第7回「空中で生活するカニ」に関してである。 ゲオセサルマ・クラティング Geosesarma krathing だが、最近ではハーフオレンジ・バンパイアクラブという商業名が非常にポピュラーになっているので、この名称を使わせていただきたい。
最初に記事を紹介した時点では、タイ東部のチャンタブリのみに生息すると思われていたが、その後さらに東部のタラットまで広く分布している事が判明した。餌や環境により変化するのだろうが、チャンタブリの個体群よりもタラットの個体群の方がやや赤味が強いようである。
生息場所はタラットでもチャンタブリ同様に山間のやや湿地のような場所で、タイではポピュラーな果物であるサラカヤシが茂った場所に多い。このサラカヤシの実にはやや癖のある匂いがあるが、甘酸っぱい果肉をしておりタイ人には果物として非常に好まれる。蒸れた靴下の匂いがすると日本から来た自分の友人達はあまり好まないが、自分は大好物である。撮影の際に熟した実を見つけると喉の渇きを癒すためにつまませて頂く事も多い。
湿地を好んで生える事から、ジャングルの中の細流付近に野生化している事が多いので、果物泥棒ではない。ただしこのサラカヤシは美味しいだけではなくかなりの曲者なのだ。なんせ刺だらけなので、このハーフオレンジ・バンパイアクラブの生息場所は慣れていない者にとっては非常に危険がいっぱいである。
古くなって倒れた枝も刺だらけなので、間違って踏もうものなら靴のゴムぐらいは軽く貫通する。自分も数回足の裏にぶっとい刺が刺さり、一緒に出かけたタイの友人に抜いてもらった事がある。その際に日本人の足の裏はなんて柔らかいんだと笑われてしまった。子供の頃から裸足で遊び回っているタイ人と比べる事自体がナンセンスだ。危険は足下だけではなく、頭上も脇も注意しながら歩かないと刺の洗礼を受ける。しかし、ハーフオレンジ・バンパイアクラブにとってはこの環境は非常に利点が大きい。外敵から身を守るには好都合で、良い隠れ場所になっている。
さて、以前の記事で、このハーフオレンジ・バンパイアクラブの繁殖期は1月から4月と書いた。これは本種の論文にも記載されている情報だが、自分の目でも確かめたかったので、二年に渡りこの時期に数回本種を観察に訪れた。その際に非常に興味深い点に気付いた。繁殖期が近付くと、本種の性比が偏ってくるのだ。11月頃からその現象が見られ、葉っぱの上などにいる大型個体はほとんど雌だけになってしまう。これは産卵が始まる1月から、繁殖が終わる4月頃まで同様だ。この時期雄はどこに行ってしまうのであろうか?何回かの観察では、この時期雄は地面近くにいる事が多いように感じた。それが何のためなのかは不明である。カマキリのように産卵の前に雌が雄を食べてしまうという説もあるが、繁殖期が終わると、また性比はほぼ半々に戻るため、この説では説明がつかない。
タラットの生息場所では、2月になると腹部に大型の卵を抱えた雌が目立つようになる。本種は陸封型で大きな卵を産み、卵から孵った子供はすでにカニの形をしている。このような大卵型の陸封型の種類は、ベンケイガニ科の中でも特異な存在である。卵のふ化までは1ヶ月程かかるようだ。3月頃になると腹部に小さな子ガニを抱えた雌が多くなる。ゲオセサルマ属の中には、ふ化した子ガニが雌親の背中に乗って保護される種類も知られているが、このハーフオレンジ・バンパイアクラブはそのような生態はないようだ。
親から独立した稚ガニは最初水分の多い地面の落ち葉の下などで隠れるように生活している。やがて大きくなるにつれ、水から離れて木の上や草の上などで活動するようになる。フィールドで観察していると、大型の個体、中型の個体、小型の個体とほぼ3種類の大きさのカニがいることから、本種は3年かかって大型個体にまで成長するのではないかと推測できる。今のところ一番の興味は繁殖期になぜ性比が偏るのかという謎に関してである。いくつかの推測もあるが、これを立証するにはまだ観察が足りない。これを解明するにはあと数年観察しなければいけないかもしれない。その間、何回サラカヤシの刺の洗礼を受けるのであろうか?