今年の夏前頃、ひょんな事からYouTubeで非常に気になる魚の動画を見つけた。それは自分のライフワークでもあるワイルド・ベタの動画であった。タイの東北部からラオスにかけて生息するベタ・スマラグディナなのだが、色彩や尾びれの形態が従来の魚とは異なっているのである。元々スマラグディナはグリーンの体色が美しいので、英名でエメラルド・ベタとも称されている。ところがその魚はグリーンの体色の面積が非常に多く、改良品種?と思うほどの美しさであった。
また特筆すべきはその尾びれの形状で、成長した成魚では美しいスペード状に伸長する。今まで各地でスマラグディナを見てきたが、こうした尾びれの形状の魚は初めて目にした。この魚はタイ東北部のブリラムという場所で採集された魚と言う事で、子供達が湿地で採集している動画などもYouTubeにアップされていた。動画をアップした方は、この魚にブリラム・スーパーグリーンパワーと名付けており、他のベタとは一切交配などは行っていないとの事であった。確かに数多くのワイルド・ベタや改良品種のベタを見ている自分の眼でも、この魚にハイブリッドの雰囲気は感じられなかった。
一目でこの魚が気に入ってしまったので、タイ在住の自分の相棒であるトンに、この動画をアップした人物にコンタクトを取るように頼んでおいた。頼もしいことにトンはすぐにこの人物にコンタクトを取ることに成功し、自分がタイに行ったら会えるところまで段取りを付けておいてくれた。10月になりタイに行く機会ができたので、真っ先にこのベタをYouTubeにアップした人物に会いに行く事に。彼が住んでいるのは、バンコクから車で1時間ほどのチャチェンサオという場所である。この辺りにはベタ・シャムオリエンタリスの採集の際に何度か訪れている。セキュリティがしっかりした高級住宅街の一角にそのお宅はあった。タイ流の挨拶をし、笑顔で招き入れて頂き、早々にお互いの自己紹介。彼の名前はニコム・チャイイン(Nikhom Chaiin)さんと言い、年齢は44歳だそうである。彼は仕事としてこのベタを殖やしているのではなく、あくまでホームブリーダーとして、趣味の延長として楽しんでいるように見受けられた。
ニコムさんのお宅には、ベタ用のひな壇が作られ、自分が夢にまで見たブリラム産のスマラグディナが入れられていた。早速水槽の間の仕切りを外し、闘争する魚の姿を拝見させていただく。想像以上に美しい!と言うのがその第一印象であった。タイミング的に成魚は少なく、若い個体ばかりであったが、そのグリーンの色彩は正にスーパーグリーンである。キラキラ輝いているのである。ちなみになぜこの魚の名称をブリラム・スーパーグリーンではなくブリラム・スーパーグリーンパワーと名付けているのか尋ねると、スーパーグリーンという名称が他でも使われてしまっているので、それと区別するためだそうである。若い個体が多いため、特徴的なスペードテールの個体は多くはなかったが、どの魚も尾びれの中央部は伸長しかかっているのが一目でわかる。自分の眼で実物を目の当たりにしても、この魚にはハイブリッドの匂いは一切感じなかった。体色は動画でも確認できたように多少の個体差がみられる。
ニコムさんがYouTubeで紹介していたこのブリラム・スーパーグリーンパワーという魚について色々と質問をしてみた。まず一番気になったのは、この魚がワイルドなのか改良品種なのかという事であった。尋ねてみると、ブリラムの生息地にこのグリーンの体色が強いスペードテールのスマラグディナが実際に生息しているそうである。その中でも色彩の美しい個体を選別して交配させ、繁殖させたのが彼の家で飼育されている魚なのだそうである。何代ぐらいかけてこの美しい魚を作り出したのか尋ねると、まだ僅か2代目なのだそうである。2代という事は1年足らずであろう。それでこのグレードと言う事は、元々相当素質の高い個体がいたと推測できる。ニコムさんのお宅では庭先にブリーディング用の飼育容器が並んでおり、幾つかの容器には稚魚の姿もあった。元親と言う個体も掬って見せて頂いたが、体色や尾びれの伸長具合など素晴らしい個体であった。
ニコムさんにこのブリラム産のベタとの出会いを尋ねると、それは彼が8~9歳の頃に遡る。子供の頃に彼の母親がこのベタを近所で採集して見せてくれたのを覚えており、大人になってからこのベタを再度採集したのがきっかけのようだ。4~5年ほど前に日系企業で働く為にこのチャチェンサオに移り住んでから、故郷のこのベタを本格的に飼育するようになり、YouTubeにもその情報をアップするようになったのだそうである。
ベタ好きには衝撃的なこの動画は、数多くの人に再生され見られているようである。自分のように連絡を取ったり尋ねてくるマニアも多いようである。みんなそのブリラムの生息地の詳しい情報を知りたいらしいが、それは彼のトップシークレットであり企業秘密であるために誰にも公開していないそうである。それは十分に理解できるので、土足で踏み込むようなみっともない真似はしたくない。
過去に自分がベタ・マクロストマの生息場所を見つけた際にも、やたらとその生息場所の情報を探ろうと近づいて来る人々に閉口した経験がある。だが、この魅力的なベタがどのような場所に生息し、実際自然下でどのような姿をしているか自分の眼で見てみたい欲求があるのはベタ・ファンとしては確かである。2回ほど訪問し話をしているうちに、その熱意が伝わったのか、近い将来、ニコムさんがブリラムの生息場所を案内してくれる事を約束してくれたので、その情報もここで発表できるかもしれない。最後に、撮影のために大切な魚を譲って頂き、忙しい中色々と話を聞かせていただいたニコムさんにこの場を借りてお礼を述べたい。